戯曲、出版します。
今、わたしは大昔に自分で書いた戯曲を電子書籍でセルフ出版する準備をしている。
もうかれこれ、16年くらい前に書いたもので、ずっとパソコンの中に入っている原稿。
書き上げたときは、それを演劇化しようとしたり、出版しようとしたり、かなりいろいろやった。
でも、戯曲の内容が大きすぎて、演劇化するには上演時間が一日じゃ足りないとか、やっても費用が1億はかかるとかそんなことになって、どう考えても無理という結論。
で、出版は1社興味を持ってくれたところがあるにはあったけれど、実は戯曲というジャンルは、そもそも商業出版されるジャンルとしては最初からないんですよ。つまり、戯曲は基本、出版する枠がないわけ。まあ、ニッチすぎる演劇雑誌とかならなくはないけど・・・
じゃあ、しょーがないからもういいやって思えるまで数年かかったとはいえ、ほぼわたしの記憶からは消えていた戯曲。
最近、Amazonのキンドルや楽天koboのことを別件で調べていたら、今は比較的簡単にセルフ出版でき、それも大分、認知度が高まっいることも実感した。
いえ、電子書籍でのセルフ出版はもうずっと前からできてはいたんですよ。でも社会の認知も低いし、出してもそこから何かを構築できる土壌がまだ社会に整ってなかった。
ところが今は例えば、noteとか、ブログでさえ有料化できるシステムが整っていて、実際にそれをやるひとも増えている。
さらに言えば、インターネットがスマホの登場で完全に社会を変え、ネットの最大の特徴である「権威の解体」がかなり進んだ。
だから大手出版社の雑誌が休刊したり、いつまでも出版不況で、テレビは視聴率を失っているし、新聞は電車で読んでるひともほぼ見かけないし、ラジオは存在なしといっていいし、いわゆるマスメディアという権威がネットによって解体が進んでいる。
あらゆる分野で「権威の解体」が進行していて、その代わりにクラウドファンディングやセルフ出版など、個人でも何か行動でき、形にすることができるようになってきた。
出版で言えば、今はまずベストセラーは出ないと考えていい。それはネットによる価値観の分散が進んだからで、一極集中というモデルはもはやないから。
となると、いくら名のある出版社から本を出したとしても、初版で2000部とか3000部だとして、印税が高くて10%となると、本なんか書いても一か月スーパーで品出しとかレジを打ったほうが儲かるってことになる。
さらに刷った分すべてが売れるわけでなく、大半が書店に並ぶことなく返本&裁断されたりして、それだったらブログで書いたほうがよほど読まれるってことなんですよ。
で、出版点数だけは多いので、今は本を出したからと言って、それがステイタスになるというものでもなく、得てして、
「へえ~ すごいっすね」
くらいのことしか言われない。
となると、たとえ出版しても1冊売れて100円前後の印税にしかならないものって、あまりやる意味ないんですよ。やる意味があるのは、かなり名が売れていて、10万部くらいは売れるというステイタスがないとってことになる。
しかし、文芸となると、芸人が芥川賞みたいなサプライズがない限りは、10万部とかはまず売れないので、意味ないです。大手出版社の文芸誌の発行部数なんて存在意義を疑いたくなるくらいだし、しかも文芸誌なりに掲載には枠があるから、そこに掲載されることはそれほど簡単でない。だから、芥川賞を獲った新人作家もどこかに消えていくことになる。
そこでわたしは気づいたんですよ。作家や作品が悪いわけじゃない。文芸誌の都合で掲載されないだけなんだってことを。
昔みたいにネットがなくて、どこかそいう媒体に入らないと自分の作品が表に出ないのなら仕方がないけど、今みたいに個人が昨晩、カレー食べましたって、そのカレーの写真とコメントを瞬間的に手元のスマホで発表できちゃう時代にほぼ読まれていない文芸誌とか雑誌に掲載することを望むって馬鹿じゃね?と心底からわたしはわかったんですよ。
ネットのおかげで、自分のものを自分で売りに出せるし、自分で宣伝もできる。出版社なんかに媚びなくても、自分でできちゃう。
しかも電子書籍は印税率が紙に比べてとても高い。
さらに出版費用は無料。
そして、みんながほとんどスマホを持っているから、書店に行かなくても、手元でダウンロードして読むことができる。
これだけのコンディションが整っていて、自分でモノが書けて、作品も持っているなら、セルフ出版しないとこれまた馬鹿じゃね?と思ったわけです。
どうせ戯曲なんて商業出版の枠すらないし、あり得ないけど紙の本で出版されたとしても2000部以下の耐えられない存在の軽さの虚しさしかない。
売れないジャンルなら、自分で出して、いつでもだれでも買える状態にしておきさえすれば、たまに売れればわたしはその印税で昼飯くらいは食える。今のようにパソコンに何年も眠っているだけなら昼飯代すらも生み出さないけど、電子化して楽天やAmazonに置いておけば可能性はゼロではない。
そして、セルフ出版だから、自分でいかようにも宣伝することができる。出版社で出してもらって、出してはい、終わりみたいなことにならない。
しかし、出版社のひとって、どうして出版した本をもっと売ろうとしないんだろうね。出版した最初はある程度宣伝はしても、あとは放ったらかしじゃん。もう少し出版点数を減らして、一冊当たりにかける時間を増やしたほうがいいと思うんだよね。
と、そんなやる気のない出版社に頼るなんて無駄だし、馬鹿にされてるだけだから、自分でやったほうがいい。
自分だけは裏切らないから。自分さえあきらめなければ。
と、このように最初から相手にされない戯曲だからこそ、そう思えるきっかけになった。でも、そのきっかけから、戯曲以外にも、例えば着物本とか、生き方本とか、わたしが伝えたいことをこれから結美堂出版というレーベルを電子で立ち上げてやっていこうと思う。
一応、結美堂は法人だし、昔、法人登記したときに、会社の目的を登録したんだけど、ちゃんと出版事業も入ってる。
そのときは出版なんて考えてなかったけど、あとから追加するのは面倒だし、金もかかるから、最初に登記するときに自分が将来やりそうなことを全部思いつく限り入れておいてくれって言われてそうした。
ちゃんと役立つものだね。その他には、映像制作業務、放送事業、広告及び宣伝業、さらに食品販売なんてものもできる。
ともかく、会社登記的にも結美堂でできてしまう電子出版業のノウハウをつかむにはやってみないと身につかないから、まずはパソコンで眠っている自分の戯曲で試そうと思ったわけ。
原稿の電子化、そしてプロモーションのかたちと流れを習得したら、才能があるのに干されている小説家とかの作品を結美堂出版で出してもいいって考えています。
まずはパソコンの中にあるだけでは何も生み出さないものをせめて昼飯代くらうにはしようよっていうスタートアップの気持ち。
でも、「権威の解体」でますます大手出版社も力を失うから、今のうちからセルフレーベルで出版できるプラットフォームとノウハウを習得しておくのは悪くないい。まだそれが時代に適合するまできてないかもしれないけど、間違いなく今まで出版社がやってきたような出版スタイルは過去のものになって、わたしがやるようなスタイルがノーマルになって、その中で激しい競合になるはず。ネットってそういうものだから。
おそらくこれからなくなるのは編集者っていう仕事だと思う。編集はあっても、編集者っていう感じでないものになってくるだろうな。
要は自分で企画できて、自分でも書けて、自分でもプロモーションできて、自分でも売りに出せるっていうかたちに集約されてくる。いわば、出版社に雇われる編集者っていう専門職はなくなるだろうという予測。
とまあ、これから戯曲の原稿チェックをしたり、データをアップする方法なんかを調べようと思います。