ずっとメンヘラでもいけない。
マロオケのチケット発売が近づいてきて、チラシの印刷作業をしたりと、コンサートモードに入ってきました。きっとまたすぐに当日を迎えてしまうのでしょう。
よし! 去年のマロオケの録音を新天地で聴こうかと思ったけど、興奮するからモーツアルトのミサ曲ハ長調にした。
しかし、新しい結美堂はスペース的に今までよりスピーカーの音がよくなったみたい。
やっぱ、いいな~! モーツァルトは。そして、ハ長調ってのは、堂々としていていいね。
人間ってのは、ハ長調で生きたほうがいいんだろうね。アンニュイすぎるのはよくないよ。
でもね、モーツァルトの何がすごいかって、ハ長調なのにアンニュイになるところがあんのよね。これにやられちゃう。ずっとベタなハ長調なら飽きるんだけど、モーツァルトはアンニュイのブレンドがうまい。
その点、アンニュイの塊みたいなチャイコフスキーはやっぱね、旋律はきれいとは言いつつ、底が浅いって気がする。
思うにチャイコフスキーって、華原朋美なんだよね。
朋ちゃんって、日本を代表するメンヘラ女。まあ、メンヘラクイーンはなんと言っても中森明菜だけど。
クルマのカーステで、よく朋ちゃんのベスト盤はかけるんだよ。何度聴いても、朋ちゃんは歌が下手くそで、カラオケレベルっていうか、あの音程の悪さは思わずステアリングが揺らめきそう。
でも、あんな下手くそでも人間の全盛期って光るものがあって、やっぱいいなって思うよ。
そして、わたしはね、小室哲哉はモーツァルト的だと思う。センスで曲書いてるし、あの歌詞なんかもね、メンヘラ女の心を描かせたら、小室は天才だよ。そしてあの旋律。メンヘラだけど、決してベタすぎないところがまたモーツァルトっぽい。
しかし、オンナというのは、基本的にみんなメンヘラなんだと思うよ。その度合いの違いだけで。
わたしはね、自己認識してることがあって、それは自分がメンヘラに好かれるってこと。
どうしてだろうなって考えたら、わたしもメンヘラのことが嫌いじゃないからかな。メンヘラ見るとね、腹が立つっていうより、どうにかしてやりたくなる。
日本で伝説のメンヘラと言えば、学生運動の時代に立命館大学の学生で、男に振られて、学生運動にももみくちゃにされ、絶望して鉄道自殺した『二十歳の原点』の高野悦子だね。
わたしは高野悦子、大好きで、ヤバいの。感性が合いすぎるっていうかね、『二十歳の原点』は今でもときどき読んじゃうけど、読むとヤバい。自分も死にたくなるから。
まあ、あれって、心霊学的には憑依なんですよ。悦ちゃんが憑依してくる。
メンヘラなんて言葉がない時代にメンヘラだった高野悦子がなぜ、ただのメンヘラでないかと言えば、彼女の誌的な才能だね。日記だけれど、とにかく詩人で、日記だからこそ、つまりひとに見せることを想定していないからこそ、すべてがピュアで、正直。その文体が美しくて、詩的で、文学になってる。
あれには参っちゃうよ。
例えば、このブログなんか、わたしが勝手に好きなこと書いてるけどね、一応読者を意識して書いてるところがある。だから、これは書けないってことは書いてない。
実は書けないことのほうが多いんだよ。これはひとには知らされないなってこと。
そういう立場で人間を描くと小説になるわけ。しかし、『二十歳の原点』は日記で、小説のような嘘でなく、それなのに文学的で、なのにすべてが正直。
そんな高野悦子が好きなタイプだから、メンヘラに好かれるのかもしれない。
メンヘラの精神性って、本当を言えば、クソすぎるのよね。ホント、情けなくて、自分で決断できなくて、下ばかり向いて、優柔不断で、行動することなく悩んでばかりでグジュグジュ言ってる。
それを頭ごなしに「クソだね」なんて言えなくもないのに、やっぱね、そういう気持ちもわかるなってところがある。人間って、わかっちゃいるけど、なかなかできない生き物だから。
やっちゃえば楽なのにやらないから苦しい。できないと思っているから辛い。
人間はそういうものだね。
メンヘラに共感してるわけじゃない。やっぱり、「こいつ、アホだ」と思ってる。でも、「こいつ、アホだ」と思っても、考えてみりゃ、自分も大したことねーなって思うとね、少なくともわたしなりにこうやったほうがいいんじゃないかって、メンヘラよりかは知恵があれば、その知恵を提案してみたいって思う。
それで楽になればいいんじゃないかな。やっぱり、辛いのはきついからね。
一方、わたしが嫌いなタイプって、ノリノリ紀香みたいなのとか、自惚れが強すぎる自信家みたいな女ね。
あとはどこぞの着付け教室でまるで社会的価値はないのに着付け資格とか騙されて取って、資格持ってますとか言ってる高飛車で馬鹿な女。そんな資格、勝手に着付け教室が作ってるだけなのに、それに気づかず資格持ってますなんていう客観性のない女で、そんな虚像でいい気になっているようなのは嫌だね。頭悪すぎるから。
それだったら、ダメダメなメンヘラのほうがいいや。
だって、メンヘラっていうのは、悩みすぎる愚かな哲学者だから。
人間はね、自惚れが強いと、哲学しないんですよ。自分が偉いと思ってるから。
メンヘラは自分に自信がなかったり、何かやってみたいけど、どうやったらいいかわからないとか、愚かなりに考えてるよね。
だから、メンヘラは自信家よりもひとの気持ちを感じられるんだと思う。感じすぎておかしくなる。そこまで相手は思ってないのに、過剰に感じすぎて自滅する。
高野悦子はそれで鉄道に飛び込んじゃったわけだけど、感じすぎるっていうのは文学になるから。
でも、ずっとメンヘラじゃいけない。これだけははっきり言える。メンヘラはひとを幸せにしないし、自分も幸せにならない。
甘えなんだよ。メンヘラの言い訳を聞いていると、ほんと、子供みたいに自己中だから。ブラックホールみたいに自分の重力で重くなってる感じ。
なんて言ってもね、わたしもメンヘラに付き合っているひまもないけど。自分でやらなきゃいけないこともたくさんあるし、結局はすべての人間は自分で自分のことをやるしかないんだろうね。