ちょっとコラム「こだわりより共有」

結月平日コラム_edited-1
ちょっとコラム「こだわりより共有」
 
こだわりがあるより、ないほうがいいと思うようになって、随分時間が経ちました。なんて、自分で言っていても、ひとよりはまだこだわっていることがあるかもしれない。
 
でも、そのこだわりは品物の品質とか、美的なものとか、そういった方向のもので、どうでもいいようなことにはすっかりこだわらなくなりました。
 
だから、飲食店などでも「こだわりの云々」というメニューを見たら、もう面倒だなって思ってしまって、こだわりがある料理は食べたいと思いません。
 
だって、こだわりを押し付けられるようで、口に合わなくても合わないって言いにくそうだから。
 
こだわらなくなったのは、こだわってみてもいい結果があまり出なかったからで、いくら自分がいいと思っても、それが自分の中の価値観でしかなく、価値観はこの世の中にはたくさんあるのだから、自分のこだわりに固執してもそれは受け入れてもらえないのは当然です。
 
なので、今はこだわりよりもひとと共有できるもののほうが大事だと知りました。
 
さらにもっといいのは、こだわらずに投げやりになったりしないで、ゆるく、考えて、それが共有されることでしょう。とにかく、共有されないものは衰退してなくなってしまう。なくなってしまえば、こだわりなんて一円の値打ちもありません。
 
共有されているけど、つまらないものもある。そういうものでなく、共有されて、つまらなくないもの、がいいんですよね。
 
こだわっているようでこだわっていない。こだわっていないところでこだわっている。
 
そして、共有されている。
 
そういうのがいいんだなって思うようになったんですよ。
 
 

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