ちょっとコラム「できるにはできると思わなきゃ、できない」
ちょっとコラム「できるにはできると思わなきゃ、できない」
どうやったってできないことを、
「君なら、できる!」
みたいなことを言う自己啓発があちらこちらで見られるわけですが、これはなんと無責任な話か。
学校では先生がそんなことをまだ言っているのかもしれない。
先生にしてみれば、そう言っておけば、生徒に嫌われないし、期待しているっていう”いいひと”を自己演出できる。
でも、相手に「できる!」って言うには、相手をできるようにできる立場でなきゃいけないって思う。できるようにできないのに「君なら、できる!」ってカッコつけて言うのは、だから無責任だって思うんですよね。
じゃあ、できないことはできないと諦めればいいかと言えば、これも難しいところで、本当はできるのに自分でできないと思っているひとはとても多い。
それは自分への甘えに他ならず、できるかできないかは、「やってみて」からわかるものなので、やってみないとハッキリとは言えない。
要するに明らかにやらなくてもできないとわかるレベルなのか、半分半分の確率なのか、その比率が判断のしどころです。
「今から火星に行ってこい」
というオーダーは明らかにできないけれど、
「明日までに100万円を用意しろ」
というオーダーには応じられる可能性がある。
手元に100万あれば簡単だし、なければ知り合いから借りまくるとか、手段としてはコンビニ強盗を3件やるとか、つまり完全に不可能なレベルではない。
これらは極端な話だけれど、わたしたちはそんな極端なオーダーにはめったに出会わない。
総じて、わたしたちが「できない」と思っちゃっていることは、本気でやればできなくはないものばかりです。
要は、それを本気にやるかやらないかであって、だいたいは言い訳をしたりして、自分で「できない」のではなく、「やらない」だけの話であって、もっと言えば、面倒臭いからやりたくないから「できない」わけなんですよね。
ひとの差って、こういうところで出てくる。
すごい実績を残す人は「やる」から「できる」。それが積み重なって、
「あのひと、スゲーよね」
となる。
ですから、物事は「できる」と思って真剣になってはじめて、「できる」可能性が出てくるのであって、言い訳して何もやらないんじゃ、そりゃ、何も「できない」ですよ。