ちょっとコラム「日本の四季」

結月平日コラム_edited-1
ちょっとコラム「日本の四季」
 
5月に真夏日が続いたり、いわゆる四季がなくなって、「冬・夏」の二季になりそうですが、日本人は「日本には四季がある」とよく言います。
 
でも、四季は外国にも当然あって、フランスにも四季はあるし、だから春夏秋冬を表現するフランス語もあります。中国にも各地方に四季があり、アメリカにも四季は在ります。つまり、四季は日本のものだけではありません。
 
それなのに日本人はどうして日本の四季を強調したがるのでしょう?
 
その根っこはいろいろあるでしょうが、肝心なことは、「日本だけが特別だと日本人が思っているだけ」という事実に日本人が気づいていないことです。
 
どこの言語学者が言い出したか知りませんが、日本語は特殊な言語で習得するのが難しい、といった話もよく聞きます。
 
確かに日本語は漢字でも訓読みと音読みがあり、ひらがながありカタカナもあります。これを混合して使うのだから難しそうに見えます。
 
では、アルファベットだけの英語は日本語よりずっと簡単だと言えそうで、それならどうしてそんな母国語よりも簡単な英語を話せない日本人ばかりなのでしょう?
 
英語には英語の独特な言い回し、フランス語にはフランス語、ロシア語にはロシア語、中国語には中国語といろいろあって、それぞれに日本語にはない難しさはあるはずです。だから、特段、日本語が難解というわけでもなさそうです。そう思っているのは日本人だけで、そう思うことで上から目線になりたいだけかもしれませんね。
 
昨今は日本人が自信を失った裏返しの現象のせいか、「日本礼賛」は流行っているようですが、日本人でしかない感性はもちろんあっても、日本人が持ってない感性をどこかの国が持っていることは普通です。
 
日本料理の美しさは誇るべきかもしれないけれど、それは様々な要素のひとつが秀でているというだけで、外国より日本が優れているという証拠にはなりません。
 
フランス料理には日本料理にはない豪華さがあるし、中国料理には日本料理にはない豪快さがあります。
 
だから、フランス人も中国人も日本料理を見ると、彼らにはないものがあるから驚くわけで、でもそれは評価として受け入れていいけれど、同時に日本人がフランス人に対して、「フランス料理には日本にはない豪華さがある」、そして中国人には「中国人には日本にはない豪快さがある」と相手に尊敬を示す関係がいいのではないでしょうか。
 
それを日本礼賛にしてしまうのはちょっとおかしいんですね。
 
日本の四季は美しいかもしれないけど、他の国にもそれぞれに日本にはない良さがある。
 
そういう理解がないと、民族差別やヘイトスピーチになりがちなんですよね。
 
人間はね、広い価値観を持てないと、優しくはなれませんよ。
 
 

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