ちょっとコラム「相手をわかろうとしない」

結月平日コラム_edited-1
ちょっとコラム「相手をわかろうとしない」
 
相手をわかろうとしたって、そう簡単にわかるものじゃないし、わかったと思っても、相手はこっちをわかっていないかもしれない。
 
わかったと思っても、それはわかったつもりになのかもしれないし、そもそも人間の脳ミソは開けてみることができないし、相手をわかるっていうことが難しいんじゃないかな。
 
でも、難しいっていっても、半分くらいならわかるかもしれない。
 
また、わかったと思ってわかっていなくても、たとえそれが誤解であっても関係がいいのならそれで充分だとも思う。
 
それにわかろうとしてわかるものでないし、今わからないことでも、10年くらいしたら「そういうことだったのか…」とわかるときもある。
 
相手をわからないのは、自分も能力不足が原因の可能性もある。
 
わかろうとしないっていうより、できるだけわかろうというくらいがちょうどいい。
 
こちらがわかろうとして、相手はこちらをわかろうという気がなくても、それは相手の成長の度合いにもよるから、腹が立っても「まあ、仕方がないかな」というのでおさめておくのがいい。
 
相手に期待しないこと。
 
期待しない優しさってあって、期待するのは一見、相手を思いやっているようで、実はそうでなくて、自分のためだったりします。
 
ひとはひと、自分は自分。
 
その境界線さえ、しっかりとしていれば、相手に期待せずに済むし、相手も期待されないからプレッシャーもかからないからお互い楽です。
 
ひとはひと、自分は自分、と考えられるところに礼節が始まるのでしょう。
 
自分の考えをごり押ししたくなるけど、ひとはひとだから押し付けたりはしないように。
 
相手をわかろうとさりげなく思っていて、でも相手をわかりきろうとまでは傲慢でないのがいい。そして、相手が自分をわかってくれなくても、「ひとはひと」だからそれは当たり前のことだと思えば、何ひとつおかしなことなどないんですよね。
 
 
 

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