居場所って、ありますか?

結月平日コラム_edited-1

昨晩、誰かのツイートにリンクして飛んだら、「居場所」について考えさせられた。

職場での働きづらさ、居心地の悪さ、さらに視野を広げれば生きづらさみたいなものってあるよねって。

つまり、自分にとってちゃんとした居場所があるか?ってことなんじゃないかって。

例えば、居場所を意図的に追いやって、なくしてしまうことは「いじめ」だろうね。学校に自分の居場所がないなら、学校へ行きたくないと思うし、いじめっ子が幅を利かせていたら、自分の居場所はないもんね。

いじめって普通に大人社会でもある。会社なんていじめ、たくさんなんじゃないかな。

自分はいじめられていなくても、いじめる側になんとなくいたほうが安全って思って、なんとなくそうしていると、それって完全な自分の居場所とは言えないよね。「そちらの側」に身を置かせてもらっている、みたいな。

そう考えたら、自分にとって居心地のいい居場所ってあるものなのかな?

自宅っていうのは、いい居場所になるかもしれない。

仕事終わって、早く家帰って、お風呂入って、ご飯食べて、寝たいって思うのも、自宅は気張らなくていいし、部屋着でダラけていていいし、自分だけの空間。

でも、家族がいたら、そうはいかないかもしれない。

奥さんがうるさいから、家には帰りたくないっていう男は結構な数いる。だから、すんなりと家に帰らないで、居酒屋でおひとり様で酒飲んでいくとか。

奥さんだって、亭主がウザくて、臭いし、家事をやんないし、自宅がそんな居心地いいとは言えないことだってあるでしょう。

しかし、ひとり暮らしだったら、自宅が最高の居場所ってあるのは、要はひとりでいられるから、どんなに恥ずかしいことをやっても平気だし、シャワーしながら大声で歌っても誰もいないし、つまり、人間関係がない空間だから居心地がいいんだよね。

じゃあ、「他者がいるところで」という条件がついたら、とたんに難しくなるよね。

行きつけのバー、もしくはお気に入りのカフェで気持ちよく過ごしていたら、大声で下品な話をするオヤジグループがやってきてしまった。これだけで最悪。

つまり、一人暮らしの空間での居心地のいい居場所というのは、物理的に他者がいないっていうだけの話で、質のいい居場所とは言えそうにない。

他者がいながら、自分の居場所があるっていうのが本当はいいと思うのよね。

ここは自分の居場所だな~って、まるで温泉にでも浸かっているような感じっていうの。

温泉までは能天気ではないけど、結月サロンもメンバーの居場所になればいいなって思っています。

少なくとも、ここにいるとおもしろいなって思えるような場というかな。

ホント、考えてみたら、意外と居場所ってないよね。

わたしも自宅はいい居場所だと思う。猫と一緒に戯れたりね。でも、ひとりでいるから、そこから何か生産性のあるものが生まれるかって言ったら、それはないんだよね。

自宅ではいろいろ考えることに時間を使っているけど、やっぱりひとりではなにも生まれない。

わたしも居場所、ない人間なのかもね。

いやいや、バイオリンや着付けの生徒さんたちと過ごす時間は、いい居場所だなと思う。

9月下旬には、いつも来てくれる生徒さんたちとクルマ3台で奥日光へ泊りがけで旅行する。去年は日帰りでお酒が飲めなかったから、今度は泊りがけ。

すごく楽しみで、それはわたしにとって最高の居場所だと思う。何て言うかなー、気の知れた生徒さんたちと一緒にいるのって、いいんだよね、とても。

信頼感っていうか、なんて言うのかな、愛って言うのかな、よくわからないけど、何かそういうものを感じる。

そういうことをオンラインサロンで、そしてとりあえず遊び以上副業で、プロジェクトなんかできたら、もっともっとおもしろくなると思う。

みんなでやっちゃおうよ!というウキウキするような楽しさを共有できる居場所、そういうものにしたいんですよね、結月サロンは。

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