ちょっとコラム「縁というもの」
ちょっとコラム「縁というもの」
よくビジネス書なんかには、成功者は縁を大事にする、なんてことが書かれています。
わざわざビジネス書にしなくても、そんなことは当たり前じゃないかと思ったりするのですが、やっぱりわざわざ本が出されるということは、縁を大事にしないひとが多いのかもしれません。
と、そんなことを言っているわたしも縁を大事にしてきたかと考えたら、大事にしてきたとも言えるし、おろそかにしてしまったとも言えます。
今から考えたら、切らなくてもよかった縁もあったりして、後悔することもあります。
縁を切るときは、何かがあってカチン!と来たときなどで、後悔しつつも、でも当時の状況を思い出したら、そうせざるを得ないとも言えたりして、そこは難しいところですね。
もし円満なやり方があったならばそうしたほうがよかったかもしれないし、もしくは自分ではなく他のひとなら同じ状況でももっと上手にやれたかもしれないし、そこはわからないところです。
ただ、人間は年を重ねるので、今だったらもっと上手にできるのにと思うこともあります。上手にできないことが若さかもしれません。
とはいえ、どんなひとにもうまく付き合え続けるのも簡単なことでなく、それは自分も変わるし、相手も変わるからです。
さて、ビジネス書に書かれるような縁を大事にする話は、手当たり次第に大事にするということではなく、ちゃんと選べよ、という前提があるもので、この世は縁を切ったほうがいいような悪いひともいるから、それはそうでしょう。
同時にこのひとだけはと思うひとはやはり大事にしたほうがよく、たとえ疎遠になったとしても、いつでも会えるようにしておくのはいいことでしょう。
と言うのは、人間は成長したときに、今まで大事だと思っていたひととは別の世界に行くもので、いつまでも同じような環境にいることから脱したいと思うときもあるものですから。
人間は多面的にいろいろなシーンで生きているので、いろいろなひとと付き合うわけで、そのいろいろが横につながったりするとおもしろいんですよね。
縁を大事にしておくといいのは、そういういつか突然訪れる横のつながりに対応する力を持っておくというのと同義でしょう。
結局は引きこもりでは、自分の狭い世界でしかいられないから、成功から遠ざかるのは当然で、だからこそいつでもくっつける縁が大事で、その根底には信頼関係があるということです。
この信頼関係がなくなれば、もうその縁はおしまいなんですよね。