ちょっとコラム「猫のこころ」

結月平日コラム_edited-1
ちょっとコラム「猫のこころ」
 
うちの猫を動物病院へ連れて行ったときのこと、診察台にのせると怯えて体が震えている。いつもは震えないのだけれど。
 
もしかしたら、キャリーバッグに入れて自転車に乗っているとき、猫を後ろ向きに入れてバッグを肩にかけたため、ちょうど後方が見えていたのかもしれない。つまり、後ろから自動車が来るのを見ていた。
 
猫の目からすると、自動車が迫ってくるのがその網目から見えるわけで、それが怖かったのかもしれない。
 
いずれにしても猫が体を震えさせているのを見て、猫にも「恐怖」という心があるんだなと、当たり前ながら思った。
 
当たり前のことなのに意外と気づかないこと。なぜなら、人間は人間目線でしか考えられないし、心となると人間にしかないものだと思っているひとも多い。
 
それは動物には言語がないからだろうけれど、心というのは言語以前の想念だから、猫にも犬にも牛にもある。
 
わたしたちはいつでも牛肉をスーパーで買えるけれど、その屠殺場でうしを殺すとき、牛は自分が殺されるのをわかっているのかとても怯えた顔をするのだという。あれを見ると、牛肉は食べられなくなるほどらしい。
 
人間は言語を持っているから、物事に「意味」を与えることができる。また、言語があるがゆえに言語でしか物事を捉えられなくなってしまっている。
 
でも、診察室で震える愛猫を見て、心のことを思った。猫はその心を言語で感じていないけれど、確かにあるっていうことを。だから、猫は大事にしてやらなくちゃと改めて思った。
 
恐怖は言葉で説明できない「感じる」もの。
 
そんな「感じる」ことによってわかるものを、今のわたしたち、結構、無視してませんか?
 
 

関連記事

おすすめ記事

おすすめ記事

おすすめ記事

ページ上部へ戻る