ちょっとコラム「気が弱いのは損」

結月平日コラム_edited-1
ちょっとコラム「気が弱いのは損」
 
損得勘定で行動するって、あまり褒められたものではなく、つまりどっちがお得かっていう問題はとても表面的で、金銭的で、物の道理の深いところまで入ることができないから、損得勘定で生きていると得した”つもり”で、実は失っているものが多いという例は多々あります。
 
金銭的な損得勘定が行動原理になっているひとなどを見ると、服装なんかはみすぼらしいものを着ていることが多く、それは「値段の割に品物がいい」というレベルでしか選べないから、本物志向になれず、結局は中級以下のものを身につけることになります。
 
しかし、本人はそれで「得した」と思っているから不満はないのですが、しかし、服装とは大切なもので、「値段の割に品物がいい」中級以下のものを着ていると、それ以上のクラスのひとと出会えたり、交流することがないので、大きなチャンスは逃す以前に「ない」だろうから、大きな視野で見ると、とても損をしているということになります。損得勘定でのモノ選びは、審美眼を磨きません。
 
もちろん、闇雲に高いものを身につければいいというものではなく、そっちの方向に勘違いが進むと、セレブ気取りで趣味の悪いひとになって、今度は怪しい詐欺師などのターゲットになりやすいものです。
 
つまり、損得よりも本質を見ることが大事なわけで、しかし、その本質の見極めは大変難しい。
 
できるだけ大きい視野で見ると、目先の時間では損であることも、それが数年後に大きな得となって表れてくることは珍しくありません。その予測を損得勘定でやってしまうと、これまた目測を誤ってしまうこともあります。
 
こうなってくると、そのひとの生き方になってきます。そのひとがどういう生き方をしているか、目先の勘定で生きているのか、勘定ではなく人情で生きているのか、そうしたところで最終的に損得として決算されるようです。
 
だから、人間の損得は断言はできませんが、どうやらあるにはあるらしい。
 
ひとつ確かなことは、「気が弱い」と損だということです。
 
気が弱くて、自分の要求をしっかりと相手に伝えられなかったりすると、押し売りされたりもするだろうし、逆に一言自分の要求を言えば、あっさりと「いいですよ」と了解がもらえるのにそれが伝わらず置き去りにされてしまったりもします。
 
気が弱くて周囲を気にして生きていると、いい仕事はまわしてもらえないだろうし、頼りにされないから信頼もされず、困った時に助けてもらえなくなる。
 
とにかく、気が弱いことで何かいいことがあるかといえば、なにひとつない、というのがはっきりとしたところです。
 
では、気が強いほうがいいかといえば、それも困ったことがあるにせよ、やっぱり気が強いほうが社会の中でも耐久力があるし、それゆえにひとから信頼もされるし、自分も思い悩むことがないからストレスがたまりません。
 
図々しいくらいがいいのでしょう。でも、図々しいには可愛らしさが必要で、可愛くない図々しさは昨今のクレーマーと同じです。
 
図々しさには可愛らしさがなければならない。
 
図々しいけど、可愛らしい。だから、多少無理難題を言われても、「仕方がないな」とやってあげたくなる、そんな可愛らしさ。
 
その可愛らしさはの裏は信頼であって、このひとなら大きなことも任せられるという強さです。
 
礼節は大切ですが、それにとらわれ過ぎてはただの気弱であって、本当の礼節ではありません。気弱で周囲を窺うのは礼節ではなく、卑屈というものです。
 
そして、可愛らしさがない図々しさは、気が強いのではなく、傲慢というもの。
 
このあたりの兼ね合いは難しいのですが、気が弱くて何もできないというのは自分にも損だし、その気の弱さを誰かが補わなければならないのだったら、他人にとっても損です。
 
他人に迷惑をかける気の弱さなら、思い切って、可愛らしく図々しいほうが得というわけです。
 
 
 

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