ちょっとコラム「今年も四分の一」

結月平日コラム_edited-1
ちょっとコラム「今年も四分の一」
 
4月になったということは、今年も四分の一が終わったんだなって思いました。
 
物は考えようで、今年はあと四分の三しかない。もしくは、今年はあと四分の三ある。
 
どうとらえるかによって、気分は変わるものですね。
 
そもそも一年という区切りがいらないんじゃないかっていうロックンロールな考えもできなくはないけれど、やはり地球に住んでいる身の上としたら、住んでいる場所が太陽をぐるりと周ることは無視できず、一年で物事を考えるのが自然のようです。
 
ともかく、四分の一が過ぎてしまったというのは、一年を長く捉えている証拠で、その四分の一というパーツは小さくないってことなんですよね。
 
ところが、そんな小さくないパーツが過ぎたのに、何か自分が劇的に変化があったかというとそうでもなく、何か大きな達成があったかと言えばそうではなく、どうも変哲もない日々の積み重なりで、
 
「結果が出てないじゃん、結果が!?」
 
という思いが、いささかの徒労感を漂わせ、今年も四分の一が済んでしまったことがちょっと気分が悪いのはわたしだけではないでしょう。
 
しかしながら、物事の結果なんて簡単に出るものでないし、ひとの変化なんてゆっくりとじわじわだから、数か月で変わることはない。それどころか、何十年経っても相変わらずなひともいて、つまり変化しないひとだって多いのです。
 
だから、四分の一の終了に途方に暮れても、次に区切りでやっぱり同じなことを感じつつ、
 
「あれ? もう一年の半分?」
 
となり、
 
「あれ? もう年の暮れ?」
 
ってことになり、自分はいったい、どこがどう変わったのかやっぱりわからないまま、年が明ける。
 
髪の毛が日々、伸びているように、毎日どこかが変わっているはず。細胞だって分裂を繰り返し、細胞的に見ても1年前の自分と今では異なる。
 
でも、自分が存在していることは違わない。
 
こうやって人間は死んでいくんなって思いました。
 
 

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