人間はシンプルで生きられる

結月平日コラム_edited-1

移転のための引っ越し作業。

そう細かいものはないので、そんなには大変でないと思いながらも、今、結美堂はダンボールでいっぱいです。

しかし、昨日に引き続いて、

「本、超ウゼー」

もう本は勘弁してほしい。重い。重すぎる。出版社は紙の本を売るのはやめろ! わたしは紙の本を根絶する社会運動をしたい!

本はすべて電子化! 紙の本は移動のための人的労力が激しく、資源の無駄であり、毎日配本されているクソ過ぎるたくさんの本を書店に運ぶ運送業者の労働をブラック化している!

どうせ売れない本、どうせ返本される本、書店に送られても陳列棚に並ぶことなく返本され、裁断される紙の本の出版はやめろ!

と、まあ、こんな具合です。

本が紙しかなかった時代ならいいけど、電子書籍が普通にあるこの時代に無駄すぎる紙の本はなくすべきだよ。

と、引っ越し作業で、ますます紙の本を恨んでるわたし。

今日の夜中にクルマで銀座まで来て、結美堂にあった本を自宅に持って帰ろうと思ってんだけど、この重さ、絶望的ッス。

これ、マジで今日、ひとりで4階の階段を上り下りして、さらに自宅マンションまで運ぶの…

はぁ… 溜息しか出ないわ…

ああ、これだったら100冊とは言わず、全部ブックオフに売り飛ばせばよかった。

なんて言いつつも、困ったことに愛着がある本はそうは手放せない。

どうせもう読まないことはわかってるのに手放せない。

移転先では、本を一冊も置かない方針だったけど、自宅の書棚にも納まりそうにないから、一部だけ移転先に持って行こうと思う。

なぜなら、そこには書棚っぽいものがあるからで、バイオリンの資料、チェーホフ全集、黒澤明脚本全集、ジャン・ジュネ全集くらいは持って行くか…

しかし、人間って、生きてると、どうしてこうも無駄が出てくるんだろうね。

昨日も荷造りしていてびっくりした。

先日、紙袋が生徒さんに必要だったから探したのになかった。それなのに部屋の隅を片づけてたら、ナナナンント!紙袋が嫌というほど出てきて、こんなに下に隠れてたのか!

でも、こんなに紙袋あって、どうすんだよ… これは紙袋をもらうたびに使うときがあるだろうとそこに入れていて、その都度、下のほうに落っこちて見えなくなって、だからますます紙袋を補充していたという結論。

いらないダンボールもかなり出てきたし、着物関係の使わないものとか、あとは和箪笥からキモノを出していたら、いらないたとう紙がわんさと出てきて、これまたウンザリ感メガマックス!

キモノとキモノの間に挟まっていたものばかりで、たとう紙だけでかなりの量。

これ、全部取り出したら、箪笥の引き出しひとつ分くらいはあるし…

すでに45リットルのゴミ袋は3つ。さらにゴミ袋には収まらない過去の書類関係もどっさり。

いらないものを置くために銀座の中心にスペースを取っていたようなもので、

「アホじゃん!アタシ!」

棚から出した本やその他諸々も普段はまったく使わないものばかりで、この瞬間にすべてがなくなっても全然困らない。そんなものがたくさんある。

まあ、そういうものなんだろうな。生きるって、そういうものなんだろうな。

本だって、そのときに読みたいと思って買ったもので、読んだらお役御免のまま書棚に収まってる。

事務書類もそのときは必要であったわけで、でもお役御免になってもまだ残ってた。

ホリエモンは「家に住むことをやめた」っていって、ホテル暮らしをしているのもすごくわかるのよね。そのほうが無駄なものを持つ必要がなくて、楽だから。

たとえば、うちの自宅の食器棚にはある程度食器はあるけど、ハッキリ言って、使っている食器なんて数個しかない。多分、食器の8割以上は使ってない。

グラスも今はスパイシーハイボールを飲むためのステンレスのものしか使ってない。ワインも飲まなくなったから、ワイングラスも使ってないから。

料理するときはお湯を沸かすときの鍋と大きめのフライパンしか使ってない。他にもあるけど、使うことがない。

13年間いた銀座を離れることに思ったのは、できるだけシンプルにしたいってこと。

銀座に来た頃は今ほどネットは進んでいなくて、ぜいぜいADSLが普及したくらいだった。だから、物質的にリアルなものに力があった。

そのため、調度品などもヨーロッパの本格的なものを揃えたりしたわけだけど、そういう装飾的なものがどんどん鬱陶しくなってきて、それはネットの進化とわたしの気持ちが連動していると言っていい。

ネットというのはバーチャルなものなので、物質じゃないんだよね。ところがそんなバーチャルなものが生活にはリアリティを持つようになってきた。ネット通販はその典型例だと思う。

ネットは無駄な物をなくす力がある。書籍だったら、紙に印刷して、製本して、それを箱に詰めて運送業者が運んで、書店員が品出しして、そこにブックカバーをつけて売られるというものすごいプロセスがあるけど、それらをネットはなくしてしまえる。

家の布団で寝転がりながら、電子書籍リーダーから読みたいと思ったときにクレジット決済でダウンロードすればいいだけで、書店に行く必要はないし、紙の本を物理的に持ち歩く必要もなく、買い物のために財布を持たなくてもよく、読みたいときに無駄なくストレートに読める。

こうしたことを至る所で起こっていて、だからわたしたちの生活はどんどん無駄が省かれている。

これはすごくいいことだと思うんだよね。

引っ越し作業をしたら、ウンザリするほどの無駄の山を見るとそう思う。

必要なものだけが、シンプルにあるだけでいい。

銀座を離れるのはいろんな理由があるけれど、13年間の無駄の蓄積に嫌気がさしてきたっていうのは大きい。

自分が作り上げてきたデコラティブな世界とネット時代とが明らかに感覚がズレてきてしまって、着付けを教えるにしても自分の両手さえあればできると単純に思うようになった。

キモノは着ればいいのであって、着られるように教えればいいのであって、そこにはゴミ袋がいっぱいになるほどの無駄なものや読み滓となった本は要らない。

もちろんそれらが今の自分を創り上げたのは間違いない。けれどもインストールし終わったものは、もうあっても意味ないんだよね。

ネット時代になって、より本質的な時代になったよ。言ってみれば、こだわりを排する時代かな。

結局のところ、モノを捨てられないって、こだわりだから。

使わないことはわかっているのに「もったいない」と思うのはこだわりだから。

AIだったら、そんな判断はしない。もっとクールに物事を進める。

人間が向上するため目的って、ひとつはこだわりをなくす修行なんだよ。

だから、インターネットの進化は、人間の進化と連動している。

本質を求めること。

キモノで言えば、辿りつくのは「色無地」みたいな。

とまあ、引っ越し作業で出てくるゴミを見ていると、これはアカスリと同じなんだろうなって思ってます。

引っ越しはたまにはしなくちゃね。

だって、ゴミじゃないけど、棚の間にあったダンボールを開けたら、バイオリンが出てきたし。

おおぉ!こんなバイオリン、あった、あったって、まったくしょーがないよ。

じゃあ、また明日ね。

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